処女厨言説分類

(増田転載)

http://anond.hatelabo.jp/20081216111617
に影響を受けて、つくってみた。

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ざっくりとした注:
●セックス:生物学的性。股間の間に何が付いているか。
ジェンダー:社会的な性。女が好きなオカマのジェンダーは、女。オカマとか、オナベとか。
セクシュアリティ性的志向。男が好きな男のセクシュアリティは、「男が好き」。ゲイとかレズとか。同性愛、異性愛ヘテロ)、ペドフィリア、(一部の)処女厨

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【I 全肯定派】 処女厨は認められる

IA:処女厨はあらゆる男の本能派。

非処女がいい男など、生物学的に存在し得ない。
よって、処女厨などという概念がまやかしであり、
処女厨を否定すると言うことは、男性という性を否定することに他ならない。
認めるも認めないもない。はじめから議論の余地など無い。
女性だけで世界を構築できるとか、バイオテクノロジーによって
処女厨でない男性を作れるというのならば話は別だが、そうではない。

IBa:処女厨はセクシャルマジョリティ派(女性だけ強いる派)

非処女でよいという男や、女のほうがむしろセクシャルマイノリティである。
処女を大切にするのは一般社会通念に照らしてけっこう普通のことである。(男もそれを期待している)
だが、男性が童貞であるのはかっこわるい。

IBb:処女厨はセクシャルマジョリティ派(男女ともに強いる派)

処女は大切にされるのは一般社会通念に照らして適当である。
童貞もまた大切にされるべきである。

IC:あらゆる処女厨は、セクシャルマイノリティ

処女厨は、すべてセクシュアルマイノリティに属する。
セクシャルマイノリティの権利は認められるべきであり、
よって、処女厨は認められるべき。

【II 全否定派】 処女厨は認められない

IIA:セクシャルマイノリティは認めない派

  ジェンダーもセックスも平等だが、セクシャルマイノリティは不可。ホモきもい。処女厨きもい。ロリコンきもい
セクシュアルマイノリティ?ではなく、異常性愛者と言うべき。処女厨は迫害されるべき。

IIB:処女厨セクシュアルマイノリティではない派

  ジェンダーもセックスも平等。セクシャルマイノリティは認めれるべきだが、処女厨はそもそもセクシャルマイノリティではないわがままにすぎないので、処女厨セクシュアルマイノリティだと考えて議論すべきではない。処女厨は、男のわがままに過ぎない。よって、処女厨は認められない。馬鹿な男の考え方を正せば済む話に過ぎない。叱りつけて終わり。

IIC:セクシュアルマイノリティであるとしても処女厨の権利は認められない派

同性愛者などのようなセクシュアルマイノリティは認められるべきだが、幼児性愛者や処女厨はたとえセクシュアルマイノリティであるとしても、認められるべきではない。セクシュアルマイノリティであるというだけで、権利が与えられるのはおかしい。一部のセクシュアルマイノリティはそもそも認めなくとも良い。
もちろん、セクシュアルマイノリティの人々に対して議論をしかけても無駄である。身体がそうなっているのだから。なので、問題が大きいセクシュアルマイノリティに対しては、何らかの社会的措置(治療、投獄、社会的隔離など)が行われるべきであり、処女厨は、その対象となる。

【III 部分肯定派】 処女厨は場合によって認められる

IIIA:処女厨のうちで、セクシャルマイノリティと認められる範囲になら全てOK派

セクシュアルマイノリティは認められるべきだが、あらゆる処女厨セクシュアルマイノリティではない。
取り替え可能な欲望としての処女好き(非処女でもOK)と、処女でないと耐えられない人は別物。
前者は男の勝手であり非難されてよいが、後者はセクシャルマイノリティとして認められるべき。
あらゆるセクシャルマイノリティは、その権利を認められる。
ジェンダーも、セックスも、セクシュアリティも平等派。ホモOK、ロリコンOK、処女厨OK

IIIB:処女厨のうち、セクシュアルマイノリティであり、かつ他者に対して努めて誠実に振る舞う限りOK派

処女厨のうち、認められるのはセクシュアルマイノリティと考えられる人物のみがOK。
しかし、セクシュアルマイノリティである結果、そのセクシュアリティによって他者に対して
望まない性行為を押しつけたり、抑圧的な行動を行ってしまうものは、
そのセクシュアリティを無条件に肯定すべきではない。
ジェンダーも、セックスも、セクシュアリティも平等派。
あらゆるセクシュアリティは他者に対して抑圧的に働くことを配慮すべきであり、
その限りにおいて、同性愛も、ロリコンも、処女厨も許される派

IIIC:事後的判断、事後的調整しかない派

原則論、一般的規範を論じても無意味。「〜であるべき」という議論自体が意味がない。
処女厨の男と、処女厨の性愛観を受け入れる女がくっついたのであれば、それはそれで問題は起こらない。
彼らを「封建的な時代のカップル」と考えるのも自由だが、封建的な時代のカップルの性愛観は、
それが当事者間の間で合意がとれている限りにおいて、周りが何かを言うべきことではない。
それ自体が性愛観の自由であり、問題が生じない限り、いかなる性愛観も自由である。
誰かが不幸にならない限りにおいて、ロリコンも、同性愛も、処女厨も問題ない。
12歳と40歳のカップルであっても、誰かがそのカップルの存在によって不幸にならないのであれば問題ない。
よって、処女厨は、彼が誰かを不幸に陥れない限り、何の問題もない。
ただし、処女厨であること自体が、処女厨の人間に対して自己嫌悪を生み出すような言説(処女厨は認められない)
が流通しているのならば、そこには対立が生まれており、片方が片方の存在を不幸にしているのは確か。
そういう言説を振りまいてしまう人間と、処女厨の人間には互いの性愛観/性愛感覚がいかに幸せに棲み分けるかを
調整する必要がある。
言説を振りまいてしまう側と、処女厨の側とで、どちらかが性愛観を変えるか、性愛感覚を変える必要がある。
実際に、相互で感覚を変えようと努力してみて、よりお互いの負担が軽くなるバランスをとればよい。
相互に対話の意志、調整しようという意志がない限り、不毛なやりとりが際限なく繰り返される可能性が高い。
ということで、別に処女厨でもなんでもかまわない。問題が起こったら調整すればよい。
具体的問題がないにも関わらず、あたかもそこに問題があるかのように考えるということ自体が
ある規範が絶対に適用されるべき、あるいは抑圧をされているという発想自体が、自分で問題を作り出している。
抑圧を感じる処女厨は、問題が起こらない限り、世間など気にしないでいればいい。
処女厨がどうしても許せない人は、せめて、許せない自分が何故なのかを再考した上で、発言すべきである。
ということで、問題が起こらない限り、処女厨でも問題ない。

【IV:実質的否定派】 権利はあるが、その権利を認めることによって生じる被害が大きすぎるため不可。

IVA:処女厨は、セクシャルマイノリティとしての権利があるが処女厨を認めない派

セクシュアルマイノリティである処女厨と、そうでない処女厨を区分することは実質的に不可能。
セクシュアルマイノリティの人間にはかわいそうだが、
わがままに過ぎないタイプの処女厨に対して、セクシュアルマイノリティの隠れ蓑を与えないため
原則、処女厨は認められないという判断が、規範の運用として妥当である。
もし本当に、セクシュアルマイノリティであることが明瞭に証明する方法があれば、認めなくもない。

IVB:セクシュアルマイノリティは認めるけれど、生理的に無理。

セクシュアルマイノリティの権利は理解するが生理的に無理。
セクシュアルマイノリティを差別する法は、男女平等に反し、憲法違反。
原理的にセクシュアルマイノリティであると言えるのであれば、権利が認められるべきだと考えている。
しかし、そういった人々と接触することが生理的に難しく耐えられない。
目の前にいたら自分は生理的に無理(怖い/気持ち悪いなど)
よって、存在は否定しないが、それをカミングアウトしたり、自分の目に届く範囲でその存在を主張しないでほしい。